平成激士塾 online 三国志人物辞典
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嗚呼、馬超…。


馬超は父が殺されてから曹操に兵を上げたことになっているが、実際は順序が逆である。

曹操に脅威を感じた馬超は挙兵し、そのせいで馬騰は殺されたのである。

そういった意味で馬超はいい息子だったのだろうか?武将としてはともかく、父の死に涙するという馬超ではない。乱世に生きた典型的武人、馬超は非情に徹したのだろう。ただし少なくとも曹操に挙兵する理由に父の死がないのは確かである。

演義の馬超はいい活躍をしているがもっぱらそれは創作であり、実際の馬超はあまり魅力が伝わってこない。典型的武人という感じなのである。

許[ネ'者]には敗れたし、そもそも史書では、涼州の刺史を殺したりもしている。また劉備に投降した理由も演技で言うほど
かっこよくはない。馬超は漢王朝に忠実だとはとてもいえない。(もっとも当時の漢王朝はもはや曹魏そのものだと捉えればさほど不忠では
ないのかもしれないが)

演義では魏延などが非常に蜀ではあしざまにかかれるが、馬超の所業はある意味では魏延のそれと同質かあるいはそれ以下である。

それなのに馬超が後世の物語で魏延よりよくかかれるのは、講談向けに脚色するのにちょうど都合がよかったからだろう。彼には実績があまりないゆえに
かえって脚色しやすい。

また史実でも彼は実力に見合うとは思えないほど厚遇を受けている。なぜだろうか。

多分馬超が羌族等に名声があったのでそのため高く遇したのであろう。

また、蜀は馬超をより名声あるものに仕立て、利用したのではないか。

その影には蜀の涼州方面への野望が大いに隠されているが、これは諸葛亮の第三次北伐でも明らかである。姜維もたびたび出兵している。

馬超はある意味では人に利用されつづけた悲運の将とも言えよう。なんにしても馬超にも言い方は悪いが、騎馬民族的豪放さが見え隠れする。
呂布や董卓、などのように…。馬超はそこまで暴虐ではなかった。ただ曹操に戦って敗れた敗軍の将である。

最後は異郷で最後を遂げたわけであるが、そのことは哀れを誘う。最後彼は一族を案じて死んだというが、彼は彼で必死だったのだろう。


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