■ 三国時代の始まった原因 → 悪政
三国志の前提となる後漢時代の概観
動乱を準備したのは、流浪する農民であった。
中国は今も昔も農民社会である。
三国時代の前の王朝、漢の時代も、例外ではない。前漢末の5959万人、後漢末の4915万人という総人口の大半は農民であった。王朝の基盤は農民すなわち農村社会なのである。
古来、農村社会は比較的身分差の少ない社会であった。
前漢頃まで、農村では共同生活が営まれていて、みな同じような生活レベルであった。しかも農民はみな自作農であった。農村はそのような農民の共同体だったのである。
しかし後漢ともなると、農村社会はだいぶ変容してきた。
少数の有力者が農村を私的に独占するようになってきたのである。したがって以前のようには直接支配がうまくいかなくなってきたのである。
また、農村では、貧富の差が拡大し、農村の豪族支配が進み、奴隷や小作人になりさがる者が続出した。
流浪の民が10万人に達したとも言われ、社会不安が増大していた。流浪の民が増えた。
豪族は、宦官や外戚とも結託し、国事を壟断した。そういった状況下では、もはや後漢帝国は社会へ有効な対策を打ち出すことができなかった。
(注 宦官や外戚の専横に反抗した官僚もいたが、党コの禁で弾圧された 官僚で清流派は故郷に帰った。袁紹などもその例)
こういった状況で、農民(すなわち一般庶民)が宗教的なものに救いを求めるのは当然である。
黄巾族の乱は決して、民衆のわがままとか、暴力の発露ではない。
為政者の政治に我慢できなくなった民衆の怒りの発露である。
黄巾の乱
後漢末(184)の農民反乱。太平道(原始道教)の教祖張角が指導した。上記の悪政と天災に悩む困窮農民が主力の大反乱。華北地方中心に発生。(曹操はこのとき、満29歳、劉備は23歳)
三国志の英雄たちを発生させたのは、悪政による危機だったのである。
(どこかの国の状況にも似てませんか…??)
■ 日本は、卑弥呼の時代
三国志の時代は紀元後200年前後。日本では卑弥呼の時代…!
中国の文明がいかに進んでいたか、実感ができます。当時の日本ではまだ書物がなかったので、記録が残っていないのです。
■ 上流階級は儒教がバックボーン
儒学思想、すなわち聖人たちの教えを書いた「経書(五経、詩経・書経・易経・春秋・礼記)」の権威に成り立つ経学が武将たちの時代精神を支配した。
帝国の治者階級である官僚は、経書を学び、その教える考をはじめとする道徳を実践し、人民を強化するべきであると考えていた。
この儒教の理想は後漢では徹底化された。これを経術主義という。(前漢の武帝は儒学を国教化した。儒学は清代に至るまで、徳治主義による王朝の思想的統一、社会秩序維持に役立つ学問として、中国の皇帝政治を支えた)
経験的・現実的な儒教ではあったが、政治と密接に関連するに及んで、超自然的な傾向が加わった。皇帝の行いを直接批難できないため、自然に災害がおこれば、君主の行いが悪く、逆に超自然現象が起きれば(いわゆる瑞兆。多くはでっちあげであったろうが)君主の行いがいいとされるようになった。
「郷挙里選」で官吏が輩出された。儒教の「考(親に対する道徳心)」を実践した者が選ばれたと言うが、大抵は豪族の子弟が選ばれたようである。(上の超自然的傾向の話と同じ)
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